阿蘇開拓の神・健磐龍命
蹴裂伝説


阿蘇開拓の神・健磐龍命(タケイワタツノミコト)
     などを祀る阿蘇神社の楼門

 阿蘇の中央火口丘、阿蘇五岳と火口原(カルデラ)を囲むように連なる外輪山、その西部に、一ヶ所、その囲いが断ち切られたかのように低く切れ込んだ所があります。
 「立野火口瀬」と言われる所です。

 その昔、阿蘇の火口原に水がたまり、大きな湖になっていた頃のことです。
 高千穂から阿蘇谷に向かってこられた阿蘇大明神(健磐龍命・タケイワタツノミコト)は、満々と水をたたえた阿蘇谷をご覧になり、「この湖水を干せば良田となろう」と考えられました。そこで、外輪山を見渡し、その一ヶ所を「エイッ!」とばかりに力任せに蹴破ろうとしましたが、二度、三度と蹴っても一向に蹴破ることが出来ません。よく見ると、そこは外輪山が二重になっていたのです。(ここを二重〈ふたえ〉の峠と呼んでいます。)
 そこで、大明神は外輪山を少し南に下って弱そうな所を見つけ、そこを「エイッ!」と一蹴りされると、山はひとたまりもなくこわれ、湖水がゴウゴウとすさまじい音を立てながら流れ出ました。
 そこが、立野火口瀬と言われるところで、今も阿蘇谷(中央火口丘北側の火口原)から流れる黒川、南郷谷(同、南側の火口原)から流れる白川がここで合流し、熊本平野を潤しながら有明海へと注いでいるのです。
 ところが、力任せに蹴った大明神は勢い余ってズッテンドーと尻餅をついてしまいました。よっぽど勢いがよかったのか、立ち上がろうとしても容易に立ち上がることができません。心配する周りの者達に「立てんのう!」と言われたことから「立野」という地名が生まれたといわれています。
 阿蘇谷の水を集めて流れる黒川が立野火口瀬にかかるところ(立野峡谷)に「数鹿流瀧」(すがるがたき)があります。この瀧は、大明神が蹴破ったところといわれ「すがる」というのは「すかり」と穴があいたからなどといわれています。
 一方、南郷谷から流れる白川が立野峡谷にかかるところにも「鮎返りの瀧」というきれいな瀧があり、近くには瀧を眺めながら温泉を楽しむことの出来る温泉宿もあります。
               *参考資料*
   「熊本の伝説」(熊本県小学校教育研究会国語部会編)





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