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的石(阿蘇町) |
健磐龍命(タケイワタツノミコト)は、毎日、往生岳や杵島岳へ出かけ弓の稽古をされました。そのお供を命じられたのが鬼八。鬼八は家来の中でも抜きんでた男で、足の速いことでは国中誰もかなう者がいませんでした。 命が山のてっぺんから北外輪山の麓にある的石めがけて大きな矢を放たれると、狙いたがわず的とされた大岩に矢はグサッと突き刺さります。 「鬼八、取って参れ!」 命の命令に鬼八は自慢の足で阿蘇谷を一またぎ、的石めがけて矢のように走っていきます。 「命、取って参りました。」 「ようし、今ひと矢いくぞ。」 こうして、二の矢、三の矢、続けざまに99本。そのたんび、鬼八は走りに走ってその矢を拾い帰りました。 「なんぼ家来だからと言ったって、こう何回も取りにやらされたんじゃあ体がもたんわい。」 吐き捨てるようにつぶやいた鬼八。100本目の矢を足の指に挟んで投げ返しました。運の悪いことに、矢は、命の太股に突き刺さってしまったのです。 |
中央火口丘の杵島岳から阿蘇谷をまたぎ、北外輪の麓にある的石までは直線距離にして約8Km。その話のスケールの大きさに夢が膨らんできます。 的石の周辺の田圃には、今は基盤整備がなされて見られなくなりましたが、以前は、小さな窪地が散在し、矢の落ちた跡と伝えられていました。 |
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的石方面から中央火口丘の往生岳(左)と 杵島岳(右)を望む |
命はすっかり腹を立て、 「鬼八め、血迷うたか。事もあろうに主人の矢を足蹴にした上、傷を負わせるとは何事ぞ。成敗してくれる。」 と、大声で叫びながら鬼八めがけて駆け寄りました。まさか、主人に矢が当たるとは。鬼八は、阿蘇谷中逃げ回ったあげく、根子岳のオクドを蹴破り矢部(上益城郡矢部町)のあたりまで逃げましたが、とうとう命に捕まってしまいました。 しかし、鬼八もただ者ではありません。押さえつけられた大弓をはねのけて再び逃げ出し、窓の瀬というところで五ヶ瀬川を挟み命と戦いましたが、とうとう倒されてしまいました。 ところが、不思議なことがあるもので、首を落とされると首は又元通りにくっついてしまい、腕を切っても足を切っても、みんな吸い寄せられるようにくっついてしまうのです。神通力というか、執念の恐ろしさというのでしょうか。 困った命は、鬼八の亡骸をいくつにも分けて埋めました。そのため、鬼八を埋めたと言われる「鬼塚」という地名があちこちに残っているのです。 |
命に倒され、鬼八の霊は天に昇っていったものの、やがて寒さが迫ってくるころになると鬼八の傷が痛んできます。 思いがけない出来事から命に倒されてしまった鬼八は悔しくてたまりません。傷口が痛むたんびに恨みの霜を降らすようになりました。阿蘇谷はちょうど稲の穂が黄金の波をうねらせながらたわわに実る頃、恨みをこめた霜がおそってくるようになりました。お百姓達は、田圃の周りをただただおろおろと歩き回るばかりです。 そこで、命は鬼八の霊に呼びかけました。 「鬼八の霊よ。おまえの傷の痛まぬように火を焚き続けるから、霜を降らせないでおくれ。」 阿蘇谷のちょうど真ん中、役犬原(やくいんばる)に霜の宮という社をお建てになって鬼八の霊を慰められました。 |
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霜宮神社の火焚き所では、今でも幼い女の子が 59日間、火を絶やさぬようお籠もりを続ける「火焚 き神事」が行われます。 |
*参考資料* 「阿蘇の神話と伝説」(一の宮町教育委員会発行) 「阿蘇の昔むかし」(立野ダム工事事務所発行) 何れも高橋佳也氏編・著 |